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| 日高川町山野 垣内 光雄 (かきうちてるお)さん(69歳) 清子 (きよこ)さん(60歳) 就農年数50年。ゴーヤ10a、梅80a、柑橘(日南、清見)10a、水稲10aを栽培されています。 |
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夫婦共に歩み続ける 息子に譲り渡すその日まで 暑い夏には、栄養満点の『ゴーヤ』! 今年も出荷のピークを迎えています。 日高川町山野の生産者、垣内光雄さんと清子さんご夫妻を訪ねました。 ○旧き佳き時代 細く長い山道を登っていくと、突然、整然と並んだ圃場が現れます。20年程前のパイロット事業で、広々とした農地が整備されました。春になると梅や桜、みかんの花が咲き、甘い香りに包まれる山々。時には、野うさぎも出てくるのんびりとした大自然の中で、日々作業をしています。 「高校を卒業したら、長男は跡を継ぐことになっていた」と話す光雄さん。50年前の就農当時は、山の中の段々畑で夏みかんやネーブルを、沼田で水稲を栽培していました。耕運機などなく、牛を使って田んぼを耕していた時代です。山のふもとまでは車を使えたものの、山道は歩くことしか出来ませんでした。みかんの収穫時期には、前後に80㎏ずつ載せた棒を肩に担いで運んでいたそうです。 今とは比べものにならない程の労力が必要でしたが、35~36年前までは、みかんを40t出荷すれば暮らしていけました。 ちょうどその頃に、ご結婚されたお二人。奥様の清子さんは、同じ山野地区より嫁ぎました。ご実家は大工との兼業農家で、「小さい頃から手伝いをしており、農業がとても好きだった」と話します。この地域は農業が主産業で、ご友人たちも農家へ嫁ぐ方がほとんどでした。今とは違い、農家に嫁ぐことには何の抵抗もなかったそうです。 ○同志 パイロット事業に取り組んだのは、8軒の農家でした。同年代の生産者が多く、「当時はみんな若く、色々な意見が出た。幾夜もかけて話し合い、意見を合わせるのが大変だったが、みんなやる気があって、とても前向きだった」と振り返ります。 工事が終わってからも、畑を耕して土を肥やすために、石を拾ったり、バークミンなどの堆肥を入れる作業が続きました。その頃が一番苦しい時期でしたが、「全ての農家が共同で作業し、作業の後には皆で話し合い、団結することの大切さを学んだ」と語ります。 時代の流れなのか、その頃から柑橘類の需要が減り始め、梅の栽培に力を入れるようになりました。5月下旬から6月下旬の青梅を収穫する時期が一番忙しく、すでに結婚し独立されている3人の子どもさんたちに手伝いに来てもらうそうです。まだ小さい5人のお孫さんたちも来るので、「その時の賑やかさが、何よりうれしい」と、目を細めます。 ○切に望む 10年程前に始めたゴーヤ栽培は、ご近所の方より教わりました。今年は、5月20日頃に定植。あいにく雨の日が続き、その上「根切り虫」の被害にも遭ったため、苗が弱ってしまい植え替えることになりました。例年なら出荷を始める7月上旬には間に合いませんでしたが、少しずつ状態は良くなってきています。 「農作物を出荷するときのうれしさが、心に込み上げてくる」と話すお二人。常に『誠実』という言葉を胸に刻み、農作物には深い愛情を注いでいます。 「もっと若ければ、もっと積極的に経営を進めていきたいのだが・・・」と、複雑な胸の内を明かす光雄さん。「子供たちが帰って来てくれるまで、なんとか現状を維持しなければ。梅の木は3年、田んぼは1年、手を掛けなければダメになってしまう。そのため、健康を保ちながら農業を続けていきたい」と望んでいます。 20年前のパイロット事業にかかった費用は、一昨年、ようやく返済し終わったそうです。「この畑が、やっと自分たちのものになった」と話すお二人の穏やかな微笑みが、とても心に残りました。 長い月日をかけて培ってきた農業。この素晴らしい自然の風景そのままに、何としてでも息子さんに受け継いでいただきたいと願います。 お体に気を付けられ、お二人の末永いご活躍を心よりお祈り申し上げます。 |